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人魚廼舎 詞藻苑  NINGYO NO YA ―shisou en―

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暖翠

◇暖翠(だんすい)
春、暖かくなり草木が緑に色づくこと。また、春の晴れた日の山の色。


昨夜の降雨と一転、空は晴朗さを湛え、泥濘(ぬかり)に春色豊かに照り映えている。
然れども、総じて麗々(うらうら)とはいかせぬと、春嵐が飛花落花の狼藉を働く辺り、僕はどうやら春の女神に厭われているらしい。
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花王

桜が花盛りを迎えている。
僕の感覚では、少々早い開花と思う。

“花曇七日(はなぐもりなぬか)”の俚諺(りげん)の例し通り、今日此の頃は生憎の花の雨である。
桜咲く頃のこの曇天は「養花天」とも称するらしいが、“花王”桜の盛りは延ばせまい。

先に件の花を観たのは3日前。
三日見ぬ間の桜は果て、如何ばかりか。

回春

本年は春気が早く廻ってきたようだ。庭が早くも賑わいを見せている。

以下、前ブログの引用。去年4月6日の記事である。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

◇回春(かいしゅん)
①春が再びめぐってくること。
②若返ること。「-の妙薬」
③病気が治ること。快復。


却々(なかなか)の間、筆無沙汰を続けてしまった。

選外の報を受けてから後、一月(いちげつ)許(ばか)りも銷沈したままで過ごしていた。

いつか解らない内に、4月になっていた。
日付の感覚がない。
例年よりも薄鈍(うすのろ)い春気もこれを後押ししているようだ。



梅の頃の話となる。
父が手折(たお)り渡して呉れたものを、小瓶に挿して傍らに置いていた。

白い花弁の中に、子筆で颯(さっ)と薄紅を引いたようなのが交ざっているのが好い。
未だ含(ふふ)んでいる蕾の様子も実に可愛らしいものだった。

また、盛りも過ぎて、不意に手が触れたばかりに、はらはらと散らして終ったときの、果敢無さ、呆気なさ。

花兄と云われるだけある。
梅は好いものだ。



今もって、巧く言葉が浮かばず紡げない日々が続いている。
更新しても、閑文字(かんもじ)を連ねた記事になってしまうだろう。

歌題

一抹の春色
散る時は風の心に
若くなし
咲くといふことだけにあり
昼月淡し
闇匂やかに塗りこめる
青き踏む
日の中に陰るもありて
に似て
墨摺りをりぬ
野路麗ら
蕾の固き
かざす掌に日のはらはらと
ほのと匂へる
頁繰る
まつたうな空
活けられてくれなゐを増す
のどけし
おきぬけの虚ろ
散ることもちらほらとして
いひわけはよさう





花兄(かけい)

水緩み、春もそこかと思えば荒い風が追い遣らう。
そのような事を繰り返す若い春にもどかしさを覚えていたが、此程は春色が整って、日に増し濃くなって往くのを感じる。


書窓から見えるは、“好文木(こうぶんぼく)”の名を冠する梅の灌木(かんぼく)。
膨らはやおらほころび、百花に先んじて咲(え)み、春日を一身に浴している。
その内の一朶(いちだ)は枝変わりで紅色を生し、清雅の中に濃艶さを添えている。


花木の双璧と、梅と並称されるのは桜である。
今や、花は桜木と遍(あまね)く呼ばれ讃えられ、風雅の弁(わきま)えの無い者でさえ、俄かに花見酒に酔う。

成程、万朶の容姿の優美さ、並み立つ絢爛豪華な様は抗しがたい春爛漫の趣である。


然あれど、梅花の色香こそを僕は愛するのである。
馥郁と咲く“花の兄”は、春の気配の手を引き、万象を導く。

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