2013/04/07 Category : 日乗(にちじょう) ―“現代書生”の色色とその生活― 暖翠 ◇暖翠(だんすい)春、暖かくなり草木が緑に色づくこと。また、春の晴れた日の山の色。昨夜の降雨と一転、空は晴朗さを湛え、泥濘(ぬかり)に春色豊かに照り映えている。然れども、総じて麗々(うらうら)とはいかせぬと、春嵐が飛花落花の狼藉を働く辺り、僕はどうやら春の女神に厭われているらしい。 PR
2013/03/31 Category : 日乗(にちじょう) ―“現代書生”の色色とその生活― 花王 桜が花盛りを迎えている。僕の感覚では、少々早い開花と思う。“花曇七日(はなぐもりなぬか)”の俚諺(りげん)の例し通り、今日此の頃は生憎の花の雨である。桜咲く頃のこの曇天は「養花天」とも称するらしいが、“花王”桜の盛りは延ばせまい。先に件の花を観たのは3日前。三日見ぬ間の桜は果て、如何ばかりか。
2013/03/20 Category : 淋しい閲歴 ―旧ブログより― 回春 本年は春気が早く廻ってきたようだ。庭が早くも賑わいを見せている。以下、前ブログの引用。去年4月6日の記事である。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※◇回春(かいしゅん)①春が再びめぐってくること。②若返ること。「-の妙薬」③病気が治ること。快復。却々(なかなか)の間、筆無沙汰を続けてしまった。選外の報を受けてから後、一月(いちげつ)許(ばか)りも銷沈したままで過ごしていた。いつか解らない内に、4月になっていた。日付の感覚がない。例年よりも薄鈍(うすのろ)い春気もこれを後押ししているようだ。梅の頃の話となる。父が手折(たお)り渡して呉れたものを、小瓶に挿して傍らに置いていた。白い花弁の中に、子筆で颯(さっ)と薄紅を引いたようなのが交ざっているのが好い。未だ含(ふふ)んでいる蕾の様子も実に可愛らしいものだった。また、盛りも過ぎて、不意に手が触れたばかりに、はらはらと散らして終ったときの、果敢無さ、呆気なさ。花兄と云われるだけある。梅は好いものだ。今もって、巧く言葉が浮かばず紡げない日々が続いている。更新しても、閑文字(かんもじ)を連ねた記事になってしまうだろう。
2013/03/10 Category : 日乗(にちじょう) ―“現代書生”の色色とその生活― 歌題 一抹の春色散る時は風の心に若くなし咲くといふことだけにあり昼月淡し闇匂やかに塗りこめる青き踏む日の中に陰るもありてに似て墨摺りをりぬ野路麗ら蕾の固きかざす掌に日のはらはらとほのと匂へる頁繰るまつたうな空活けられてくれなゐを増すのどけしおきぬけの虚ろ散ることもちらほらとしていひわけはよさう
2013/03/09 Category : 日乗(にちじょう) ―“現代書生”の色色とその生活― 花兄(かけい) 水緩み、春もそこかと思えば荒い風が追い遣らう。そのような事を繰り返す若い春にもどかしさを覚えていたが、此程は春色が整って、日に増し濃くなって往くのを感じる。書窓から見えるは、“好文木(こうぶんぼく)”の名を冠する梅の灌木(かんぼく)。膨らはやおらほころび、百花に先んじて咲(え)み、春日を一身に浴している。その内の一朶(いちだ)は枝変わりで紅色を生し、清雅の中に濃艶さを添えている。花木の双璧と、梅と並称されるのは桜である。今や、花は桜木と遍(あまね)く呼ばれ讃えられ、風雅の弁(わきま)えの無い者でさえ、俄かに花見酒に酔う。成程、万朶の容姿の優美さ、並み立つ絢爛豪華な様は抗しがたい春爛漫の趣である。然あれど、梅花の色香こそを僕は愛するのである。馥郁と咲く“花の兄”は、春の気配の手を引き、万象を導く。